麻雀用語の「純空(ジュンカラ)」は「待ちが山に1枚もないこと」を指します。
意味については、以下の2つで少しブレることがあるので、相手の意図を確認するようにしましょう。
- 待ちがすでに場にすべて見えている状態で1枚もないことがわかっている
- 結果的に山に1枚もなかった場合も含む
所感としては②の意味で使う人が多いかなという印象です。
以下ではもう少し詳しく解説していきます。
純空(ジュンカラ)とは?
純空(ジュンカラ)とは待ちが1枚もないことを指します。
例えばマンズの68ともって7を待っている嵌張待ち(かんちゃんまち)で、場に4枚のマンズの7が見えていたら、上がることはできません。
あるいは、66788とあって、場に3枚切れている場合も、合計4枚がすでに見えており、この形での上がりは不可能です。
このように、待ちが完全に死んでしまっている状態のことをジュンカラと言います。
どこまで感じにするかはそれぞれですが、「純カラ」ということが多いかもです。
(純チャンとかと同様)
純空(ジュンカラ)の意味のブレ
この純空(ジュンカラ)ですが、意味に少し幅があり、注意が必要です。
というのは、待ちが1枚もないという点は大筋で一致ですが、その待ちがないことはリーチ時などにすでにわかっていたことか、あるいは手を開いて初めてわかったか、の違いがあるためです。
例えば68と持っているAさんの待ちの7が、Aさんの視点からだと1枚も見えていないが、Bさんが4枚持っているような場合。
Bさんからすれば、どちらの意味でも純カラですが、Aさんからすると、後者の場合のみ純カラとなります。
そんなんどっちでもいいだろ!と思うかもですが、例えば「純カラの待ちはケイテンとして認めない」とルールに明記してあった場合などはちょっと難しいですよね。
なので注意して、「アガリ目のない待ちはケイテンとして認めない」のように表現する方が無難です。細かいですが。
で、どっちが正しいの?
自分もどっちが正しいのかわからないので、いくつかのサイトから定義を持ってきました。
純カラ(ジュンカラ)
純カラとは、待ち牌が全部見えていて、和了れない形のことを言います。
純カラ ジュンカラ.
待ち牌が牌山に残っていない状態。
純カラとは、待ち牌が既に4枚場にあり、牌山に残っていないこと
純空(ジュンカラ) 待ち牌が全く残っていないこと。
2vs2で微妙ですね。
空聴(カラテン)という似た言葉もある
ちなみに、空聴(カラテン)という言葉もあって、こっちは自分の目から見て待ちが0枚の場合のイメージです。
また、自分の理解だと、かつ捨て牌とかじゃなく手牌の中で使ってしまっている場合を指すイメージを持ってたのですが、
最強戦のルールには
ノーテン罰符は場3,000点。形式テンパイで良い(空テン、フリテンも可。但し、自分でポンした牌のタンキ待ち等、自分の手牌でアガリ牌を使い切っている場合はテンパイではない)。
と書かれており、自分で使い切っている場合とは区別されていました。
単に「アガリ牌が山に残っていないテンパイ」を指す方が一般的かもです。
終わりに
麻雀ってこういう微妙にニュアンスが違うみたいなのがけっこうあって、しかも答えがない(正式ルールが決まってない)とかが多いので、注意しましょう。
正式ルールがないという理解があると、相互理解が進みやすいと思います。
終わり。